フリーター就活の本質その2「学歴不問というのは完全な建前」

学歴不問と言いながら、実績を見ると一流大学からしか採用していない大企業

今では普通になっている募集する企業側が提示する条件の「学歴不問」ですが、
昔は学歴不問を詠ってる企業はありませんでした。
最初に始めたのがSONYで1991年に「学歴不問」を打ち出し、各企業もそれに追随し
今では当たり前のように学歴不問となっています。

そもそも採用するのに一定の条件を設けることは、雇用機会均等法に反するもので
学歴不問とわざわざ記載することのほうがあざといとも言えます。

そんな学歴不問ですが、現実はそんな都合よく色んなランクの学歴を持つ人を
採用している大企業は殆どありません。
最初に学歴不問を始めたSONYでさえ、採用者数の殆どが一流大学卒の学生であり
学歴不問というのは完全な建前であることがわかります。

企業側の主張は、学歴で決めたわけではなく自由競争の結果であると…それは詭弁だ

このことを企業側に突きつけると、このように主張します。
「学歴で採用したわけではなく、自由競争の結果として一流と言われる大学の学生になっただけ」
これは完全に詭弁だ。

幅広い人材が必要、同じ大学からばかり採用しては人材が偏ってしまうと言っておきながら、
自由競争の結果であるというのは矛盾しています。
学歴不問にしたのに結果的には同じ大学になるというなら、それは偏った人材を採用している
ということではないでしょうか。

個人的に学歴をある程度重視することは間違いではないと思っています。
それは一定の努力をしてボーダーラインを突破していることになるからで、
それを採用で評価することは悪い事だとは思いません。

ただ日本企業が学歴を過度に重視する傾向にあったことは言うまでもありませんし、
そのことが学歴社会を生み出したと言っても良いでしょう。

だからこそ、学歴不問というのは画期的な事であったわけですが実態は変わっていません。
自由競争の結果と言い切ってしまうなら、どこのだれであっても平等に採用すべきですが
面接では学生は大学名を名乗るのが当たり前になっています。

フリーターにとって学歴とはもはや意味をなさない

高学歴であっても就職活動に失敗したり、就職しても直ぐに辞めてしまって
フリーターになった人は数多くいます。
そんな人にとって最終学歴というのは、逆に自分の首を絞めてしまう要素になっているようです。

東京大学を卒業したのにフリーターをしているというのは、言葉だけを見てみると
非常に堕落したイメージを持ってしまいがちです。
一流大学を卒業しているのに、就職で失敗してしまったのが致命傷となっているのです。

就職戦線から脱落してしまうと、もはや学歴は意味をなさないと言っても過言ではありません。
中小企業に対してはインパクトを与える部分かもしれませんが、前述のように
懐疑的な目で見られることも事実です。

学歴不問というのは、現役世代にとってもフリーターにとっても足かせになっていると
言わざるを得ないでしょう。